ゲームと制約の関係

1/17のSUZUNEさん(http://www2.odn.ne.jp/suzune/)の日記でゲームと制約についてのお話がありました。
これは私も常々感じていることです。
市販のゲームについては、SUZUNEさんが書いてらっしゃったのと重複するので割愛して、作る側のお話を。
私がMSXユーザーだということはここを読んで頂いている方はご存知かと思いますが、MSXファミコンに劣る部分が多いハードです。
スプライトは32枚しか使えませんし、MSX2だと横スクロール機能が無かったりします。
そんな制約だらけのハードじゃ大したものが作れない気がするのですが、実は作る側に立つと燃えます。
このハードでこんなことを実現できたら凄いよなとか思って俄然張り切ってしまうのです。
メモリ容量もMSX2の標準で64KB(MBではない)しかないので、いかに詰め込むかも重要です。
基本的に余計なものを入れる余裕が無いので、「いいとこ取り」のゲームが結構あったりします。
白状してしまうと、私もMSX時代の方がよっぽど良いものが作れていたと思います。
今と比べて時間にゆとりがあったせいでもありますが、現状の「何でも出来る」環境だと、「出来て当たり前」になってしまっていて、自分の腕の悪さにめげてしまうことが多々あるのです。
昔と違ってネット社会なので、優れた作品をいくらでも見ることが出来る中、ちょっとやそっとのものでは作る意味すら無いのではとまで思ってしまったりもします。
出来る範囲が広がり過ぎて、何からやっていいのか見えなくなってしまいますが、こういう状態だからこそ、何かに的を絞って作りこむべきなのかもしれません。
「ごった煮」のようなゲームが溢れる中で、最近ミニゲーム集が売れているのは、ユーザー側もそういうものを望んでいる証拠ではないかと思います。