創作活動をするということ 第一話

皆さん、今日は。
私が宇多田ヒカルで、NHKにようこそな管理人ANGLEです。
(分かる人は分かってくれ。昨日初めて漫画版の『NHKにようこそ』を読んだところ、殆ど理解できてしまったヒッキーな私です。)
今日はというと、午後出勤だったのに、他部署でプロジェクターを使うというので、朝早くからレンタルしに行ってきたところです。
んで、会社出て、出勤時間までネットカフェで引き篭もってこの文章を書いていると。
……うわー、ほんとヒッキーだね、わーい。


さて、ここからが本題。
先日SUZUNEさんがご自身の日記で、「ものを書こうとする理由」について言及されていました。
もりしまんさんがその日記にインスパイアされて、インプレッションを書かれていましたが、私も思うところがあったので、筆を執った次第です。


本題に入ったばかりなのですが、まず私の会社についてお話しておく必要があります。
私の会社というのがまたとんでもない会社で、表向きは社員を物凄く大事にしているようなことを言っているのですが(私も人事としてそのような説明を余儀なくされている)、その実、社員は手駒でしかないわけです。
例えば、昨年は一年間で1,000名以上が退職しています。
そして、ほぼ同数が入社しています。
社員の総数は1,000名程度なので、ようするに一部の人間を除いて総入替になっているわけですね。
毎日と言っていいほど退職者が出ますし、週に2回位入社日があります。
それに伴って人事のメンバーは私を含め、毎週選考関連業務をしているわけです。
一月の予定のうち、こういった社内・社外の説明会や面接に関するものが大半を占めています。
うちの会社は所謂アウトソーシング業なので、一定の業務量を絶対にこなさなければならない契約に縛られています。
よって、人が辞めてしまったら、代わりの人員を入れなければならないのです。
ここで問題なのが、役職者が辞めることもごく普通にあるということです。
とりわけ、優秀な人ほど辞めていくものです。
クライアント企業側としては、何故毎月担当者が変わるのかと疑問に思うでしょうし、不信感も募るでしょう。
ここで本流に戻りますが、古くからいる上席者がよく言う言葉があります。
「映画を観ている間は全て忘れられる」というものです。
その方は複数の部署に関わっており、現場の役職者がなかなか定着しないせいもあり、いつ休んでいるんだか分からない位働いています。
ストレスも相当なものだと推測されます。
年齢的にはまだ30代中頃なのですが、ぱっと見、そうは見えないくらい、くたびれています。
こういう会社ですから、「映画を観て現実逃避」というのも頷けるような気もします。
確かに映画等の娯楽には現実逃避という部分も含まれているのだと思います。
ただ、それだけではないはずだとも思ったのです。
かの淀川長治さんが仰っていました。
「もっと映画を観なさい」「私は全て映画から学びました」と。
映画をはじめとする物語性のある作品には、少なからず作者の経験や伝えたい思いが詰まっているものです。
観る側はそれをキャッチ出来なければ、その作品を本当に楽しめたとは言えないはずなのです。
創る側からすれば、自分の思いを観る側が受け取ってくれなければ、失敗なのです。
私も何かを創る場合には、自分のメッセージやテーマ性を持たせています。
というのも、それが私がものを創る理由だからです。
作品を通して、自分の考えを表現したいからです。
このような文章で伝えていくことも手法の一つではありますが、押し付けがましい気がしてしまいますし、面白くないかなと考えます。


以下、次回へ続く。